唯吾足知
『唯吾足知』(ただわれたることをしる)・・・。
竜安寺のつくばいや茶道をされている方には、馴染みの言葉です。
...石原裕次郎さんの眠るお墓(曹洞宗大本山総持寺)にも置かれています。(下の写真)...
禅の言葉で、「常に充たされた生活や環境ではなく、多少であっても不足しているくらいが何事も良い。」と解釈できます。一般的には「腹、八分目」と表現されると分りやすいかもしれません。
『仏垂般涅槃略説教戒経』においては「不知足(ふちそく)」として釈尊が説明されています。
『吾唯足知』として使われる方も多いですが、『唯吾足知』が正です。
先月、『サブプライム問題』に端を発し、百年に一度のアメリカを震源とした世界的金融恐慌は、思わぬ余波と影響を私の住む日本にも与えています。
アメリカの国民は敬虔なクリスチャンが多いことでも知られていますが、キリスト教の教義は、神の下に万民は平等であると第一義に説いています。戦国時代、我が国にキリスト教が伝播した際にもこの『平等の教義』が多くの民衆に受け入れられたことは周知のことであります。
神の下で全てが平等であるならば、本質的に人間は、土地や金銭・動植物と一定の位置に置かれたレベルにあることを意味しているのです。それは、人間が土地や動植物に価値をつけたり、しいては、人間が人間に評価や差別をすること自体を否定していることであります。では、その教義を拠り所としているのに実際にはどうでしょうか。
人種差別を特定人種至上主義を掲げ、人間を商品的価値として決めつけ、また、植物や農作物に付加価値といった価格を設定するばかりか、企業にまでその影響を及ぼしています。この数年の傾向をみていると、サブプライム問題だけを見ても、金銭に金銭価値をつけているのは敬虔なクリスチャンの国の国民がなすべき行動なのかと考えさせられ、また、如何なものかと不快感を否めません。
そのアメリカでは、一人4〜6枚程度のクレジットカードを所有しているそうです。現金を持ち歩くよりもカードでほとんどを決済している社会であるということは、現金と物資が往来する流通の基本を逸脱した社会であることは言うまでもなく、数字のみが往来している社会の構造は、こんかいの金融破綻は予測の範疇でしょう。そうしたアメリカ人の生活は、「自分の現状の生活よりもワンランク上。」と云うのがステータスのようです。
しかし、この流れはにわかに変わってきているようです。
先にも申し述べたように、アメリカはキリスト教圏の国です。
そのキリスト教の教典である聖書の200あたりより、私たち日本人が太古の昔から伝統的『躾』として親から子へ、そして子々孫々に現在にまで伝えられてきた『分相応』・『節度』の教えが記載されているのです。
仏教では、十重禁戒の中に『不堅宝財戒(ふけんほうざいかい)』として、自己の生活を支える以外の財産や金銭はすべて多くの人々のために布施しなさいといういみなのです。
聖書には、具体的に記載されていて、収入の一割を恵まれない人々のために教会へ喜捨し、一割を自己の将来に備えて貯蓄しなさいと記載されています。
数年前、とある大企業の重役さんが来山された折の話です。
「山田宮司さんは、本当に良心的であるが、今の世の中、その弱みや優しさに漬け込んだり甘える一方の人様が多いです。」
その言葉に思い当たることがあるだけに耳の痛買った思い出があります。
私たち日本人は、収入の一割を地域や自己が信仰するの鎮守様や佛尊に喜捨し、一割を自己の御先祖様のために使い、そして、一割をいつもお世話になっている家族や友人のために食事やプレゼントに使い、残りの七割で貯蓄などの毎月の生活する家庭教育を受けてきているのです。だからこそ、日本は、20年前のバブル経済が崩壊しても耐えて現在の生活を送ることができるのでしょう。
一般的に、僧侶や宗教者からの教えは、『法布施』といわれ、この法布施を受けたからには『財布施』を渡すのこととなっています。しかし、この『財布施』をさきに行うことで、『法布施』を受けることが多いのです。
どうしても、布施となると損をした感じになるでしょうが、布施は損得勘定で行うと、その損が増幅されてわが身に戻ってきます。
どんな形であっても願掛けを行わない人はいないと思います。
願掛けの前に反省があり、その反省の一歩先には感謝が生まれます。その感謝の気持ちが『菩提心』の入口となるのです。
感謝の気持ちは、充たされた生活の中では生まれません。充たされた生活は、むしろ更なる欲求を生む生活となります。
欲求を生むことで三毒と言われる心が生じ差別や競争につながり、後々には空くの輪廻を自ら作り、多くの人を巻き込むこととなるのです。
『唯吾足知』・・・。
人間が人間として賢く生きていく基本の言葉です。
平成20年11月 霊峰木曾御嶽山總幣社 御嶽山本宮 御嶽大社開闢祭主兼宮司 九拜
法喜禅悦
法喜禅悦(ほうきぜんえつ)
世界に誇るノーベル賞の受賞。今年は多くの日本人がその賞賛を受けることになりました。
長い年月と弛まぬ努力の結晶は言うまでもありません。
禅の世界には「法喜禅悦(ほうきぜんえつ)を以って食(じき)と為す」という言葉があり、云われたのは、維摩居士であります。
更に、「我れ今万却(ばんこう)の飢を療ぜんが為に此の一飽を味わうものなり。」と述べられてもおります。
この『法喜禅悦』=『法悦』とは一体どういう意味をもっているのでしょう。
私たち人間は精神的救済を何らかの形やものに依存する傾向があります。
こうした精神的な苦境において、自力による救済と他力による救済との別はあっても、宗教的に救済されたとの体験から湧きおこる歓喜の情を『法悦』と表現するのです。
自己の人格や性格の錬成が高みに進んだことの自覚を持つことで修行を継続する力の源泉となるのです。
この思いを枯渇させないためには、『修行に真剣に打ち込む」ことが大事なのです。
茶道の世界にも、「一味清浄法喜禅悦の境を悟る事が出来る」との作法があります。
七事式は繰り返し修練することによって、雲水(禅の修行僧)の悟りにも似たものに近付けるという事を意味しているのです。
曹洞宗大本山永平寺開山の道元禅師は、『赴粥飯法』の一節に
馬祖曰 建立法界盡是法界 若立真如盡是真如 若立理盡是理 若立事一切法盡是事
然則等者非等均等量之等 是正等覚之等也
正等覚者 本末究竟等也
本末究竟等者 唯佛與佛乃能究盡也
正當恁麼時 有實相性體力作因縁
是以法是食 食是法也
是法者 爲前佛後佛之所受用也
此食者法喜禅悦之所充足也
「馬祖曰く、法界を建立すれば尽(ことごと)く是れ法界、若し真如を立すれば尽く是れ真如、若し理を立すれば尽く是れ理、若し事を立すれば一切の法尽く是れ事なりと。
然れば則ち等は等均等量の等に非ず、是正等覚の等なり。
正等覚は本末究竟等なり。
本末究竟等は、唯仏与仏乃能究尽(ゆいぶつよぶつないのうぐうじん)、諸法実相なり。
故以に食は諸法の法なり。
唯仏与仏の究尽したまう所なり。
正当恁麼(しょうとういんも)の時、実相性体力作因縁(じっそうしょうたいりきさいんねん)有り。
是(ここ)を以て法は是れ食、食は是れ法なり。
是の法は、前仏後仏の受用したもう所たり。
此の食は,法喜禅悦(ほうきぜんえつ)の充足する所なり。」
私たちの日常をふりかえってみたときにどうでしょうか。
世の中がグローバル化の中で多くの情報が身近になった分、正確で自己のためだけの必要な情報が本当に届いているのでしょうか。
むしろ、情報が多いがために、その情報にふりまわされて、自分というものを見失っているのではないでしょうか。
世界、60億人が市場経済主義と云う拝金世界に右往左往している状況は決して地球に生存するもののなすべき行いではないように思えるのです。
御は、御縁があって毎月浅草に下向することがあります。
その際、災害のあった他国た日本の地域に対しての『緊急義援金』と書かれた小さく決してお世辞にも綺麗とはいえない箱を携えた、あきらかにアジア圏の外国籍の方が多くおられます。
そもそも、我が国日本の募金のスタイルは、街頭に数人、定位置に立って募金呼びかけるものであったと記憶していただけに、信号待ちしている人に近づいて、ましてや、募金の金額まで指定するのには驚きました。
この行為ははたして、純然たるボランティアと称してよいのか考えさせられた一例であります。こうした風潮は他人事ではないと感じております。
大本山永平寺大庫院には、永平67世元峰禅師揮毫の「法喜禅悦」の額とあわせて、永平73世泰禅禅師揮毫の両脇の
法食同輪永転山園之隆盛(ほうじきりんをおなじくし、とこしなへにさんえんのりゅうせいをてんず)
証修忘跡平増香閣之禎祥(しょうしゅうあとをぼうじ、たいらかにこうかくのていしょうをます)
聯(れん)があります。
そこには、食事を作る人、その弁食を頂く人も共に三輪空寂(さんりんくうじゃ)として与える人も、受ける人もその物も清浄であるという意味を述べているのです。
現在の拝金世界で負の循環と気づかずにいる私たちの状況は、『人もその物も清浄』といいきれるのでしょうか。
その結果として、汚染米や汚染冷凍食品・汚染ミルクが世界中に流通しているのです。
更に、こうした野菜や金銭に対して価値を付加して、世界中が実体の無い数字のみが乱高下しているのが現在の私たちの世の中の実態であります。
一部の個人投資家に間では、庶民生活に水をさすかのように、『原油価格1バレル=250神話』を実現させようとの噂もささやかれています。
この一例は、先年の『ライブドア事件』の風潮の記憶の感触を感じました。
ある一定のルールや規制の中で個々人が思い想いの発想ができてこそ個性が光るものではないでしょうか。
ストイックさや我慢・忍耐のない結果は人間をさらに貪欲に誘い、反省も感謝もなく、それこそ、感動も感涙のないつまらない人生のような気がしてなりません。
『法喜禅悦』
自己を見つめるひとつの手段ではないでしょうか。
平成20年10月 霊峰木曾御嶽山總幣社 御嶽山本宮 御嶽大社開闢祭主兼宮司 九拜
大道豪胆
大道豪胆
第71〜73代内閣総理大臣・大勲位菊花大綬章・中曽根康弘先生が、親しい方に色紙に揮毫される有名な言葉です。
・『大道』とは、二人の行うべき正しい道とか根本の道徳という意味と、「政(まつりごと)の」という意味があります。
・『豪胆』とは、度胸がすわっていて、ものに動じないこと・肝が太いこと。
総じて、政治には、短慮や短絡は禁物であることが説かれております。
現在の日本の政治や経済は非常に混迷と迷走を繰り返して現在に至っております。と言いましても、いつの時代であっても、民衆にとって居心地の良い政治は皆無といっても過言ではありません。
御の幼い頃に祖母が、
「御帝(おかみ)は「帝都の宮家は、皆好き勝手なことばかり言う。官吏は御の言うことすら聞かず軍部と好を通じ、政は形式的である。」と言わはってあらしゃった。」
という言葉が今でも記憶にございます。
1989年に東西ドイツが統合し、社会主義国ないし共産主義国の崩壊が相次いでから20年。グローバル化と資本主義経済は如実に世界の政治と市場経済を変化させてきました。
しかしながら、市場原理主義優先の政治は確実に国家間の軋轢を生じさせるばかりか、自国の内乱を生じさせるもととなることは火をみるより確かなのです。
共産主義を唱えた『マルクス』ではありますが、マルクスの共産主義論は民主主義そのものであり、また、資本主義を真っ向から反対している訳ではありません。
旧ソ連が崩壊した原因は、マルクスの共産主義論を『独裁政権』と『密室政治』に都合よく作り上げたことから生じた矛盾の崩壊に他ならないのです。
我が国日本はどうでしょう。
順徳帝の『禁秘抄』や宇多帝の『寛平御遺戒』にもありますが、今の政治家はあまりにも歴史を勉強していないように思われます。
特に、近代史をこまかくまで研鑽を積んでいないために、「場当たり的」政策しか国民に示すことができずにいるのです。
これは、深く突き進めていくならば、国民の大切な一票で選出された代議士が国の官吏の言いなりになっていることを露呈していることでもあるのです。と云うことは、政権が交代したとしても、政治の中枢は国会で行われているのではなく官庁が行われているということなのです。
役人の『独裁政治』が行われている一方で、経済は『市場原理主義』が働いているということは、どんなに経済や市場緩和政策等行っても歪と格差ばかりが生まれて、国民の生活完全はもとより市場の活性化は望めないのは当たり前のことです。
『市場原理主義』も経済のごく限られた部分にのみ用いることは必要でありますが、業種や産業によっては排他すべきであり、ましてや、教育や福祉、雇用にまで用いるのは『愚の骨頂』といえましょう。
地方分権に併せて、地方都市では広域合併が推進されたことは記憶に新しいと思われます。
昨今、報道等で話題となっている『後期高齢者医療費』の問題ですが、実は、小泉内閣時代に法案は可決され、この『後期高齢者医療費』の施行まで2年という歳月の余裕がありました。
しかし、この制度が施行されてみると、地方行政の『広域連合』といわれる行政団体に高齢者医療の準備積立金が全く無いというのはどういうことなのでしょうか。これは、国家公務員よりも『地方公務員』の怠慢にほかなりません。
一部の地方自治体では、広域合併の際に、年金積立金の余剰と称して住民に還付した例があるとも聞いております。元来、年金や健康保険料は厚生労働省や社会保険庁が徴集の窓口ではなく、地方自治体の住民課や生活課といわれる担当部署がその任にあたっていたはずです。
また、この4月から、『地方行政財政健全化法』が施行され、地方債と歳入の比率が30%を超えた地方自治体は『再建整備団体』の指定を受けることになります。
ここで問題なのが、地方自治体が独自に徴集する、「水道代」なのですが、『公益団体収益』ということで、地方自治体の税収とは別に、公にされない収入になることから一般的に公開されないことが多いのです。
ということは、再建整備団体にならないために、地方自治体の負債=借金を一般住民の目の届かない収益部分に水増し請求と徴集をして損失補填するということなのです。
これは、地方の住民が、道路も、水道も含めたインフラが充実した都市部=都会にどうぞ移住してください。と地方自治体が推進しているようなもので、みずからの首をしめる行政ではないでしょうか。
ましてや、地方に必要な道路を建設を推進して作るとなれば、地方からの人口流出は多くなるのに決まっております。
これは余談ですが、中華人民共和国の「チベット自治区」の騒動の一因に、チベットの『観光地化』を基準にインフラ整備をしたところ、チベット民族の都会部への人口流出が著しくなり、また、中国人の流入から環境破壊、伝統文化維持が困難になったこともあるそうです。
ということは、報道等で国家公務員の天下りや削減がよく言われていますが、むしろ、こうした行政のことを鑑みると、地方自治体の公務員の大幅削減が政道の筋道ではないでしょうか。
親である国の金庫が空どころかマイナスであるのに、地方と云う雛鳥は湯水のように餌を大きな口を開けて待っているだけでもおかしいはなしなのに催促する時代になっているのです。
裁判員制度の施行が間もなくであります。このことに併せてでありますが、警察組織もこのことに併せてでありますが、見直しや改革が必要に思われます。
未だに警察組織は戦前・戦中の『憲兵さん』的感覚が根強くあることが、日本の煩雑化した犯罪の検挙率の低下や犯罪抑止にいまひとつの打開策を見出していないのが現状です。御のところにもたまに、警察の怠慢や杜撰な対応について相談されに来る方がおります。
警察官も地方公務員で、治安安定政策から、10年ほどまえから募集定員を増やしていると聞いております。
警察は、「民事不介入」の原則で捜査や調査を行っておりますが、大方の事件とは、『民事』から始まることが多いのです。桶川のストーカー事件もそうですし、最近の傾向は、公務員が他人の戸籍や住民票を職権を濫用して不正に取得することもあるそうです。
『住民サービス』と『治安維持』を第一に優先すべきが警察の地域住民の負託に応える本来の面目でありましょう。それらを理解できないのであれば、警察も無用の長物にほかなりません。
政治とは、国家や行政から与えられたものにただしたがったり、与えられるのを待っているだけではいけないのです。不満があるならば、一人ででも改善すべきであります。
日本国憲法には、
■〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
■〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
他国にはない尽未来世界に誇れる国家の礎があるのです。では、経営というものに大道豪胆を喩えるならばどうでしょう。
政府の「メタボリックシンドローム」の政策によって、最近のフィットネス業界の動きが活発になると予想されています。ところが、衛生・健康を掲げるフィットネス業界も、利益優先の市場原理主義が暴走しているようです。
首都圏の中堅フィットネスクラブ『R』では、顧客からの人気が多いグループエクササイズの2面あるスタジオの片側のみ使用して、パーソナル(有料個人トレーニング)エリアとする方針でこの4月から運用したそうです。
また、大手フィットネスクラブ『K』は、電力会社から継承した首都圏で展開していた『S』を「アミューズメントエリア」と位置づけた運用をするようです。
一見、はたから見る分には非常に有意義で、面白そうに見えますが、ここにも『市場原理主義』の暴走が垣間見ることができます。
かつて、介護保険改正法により、介護保険適用での施設やデーサービスの料金が高くなったことは記憶していると思います。
しかし、介護保険料や施設利用料などが高くなったのにも関わらず、介護士や人件費の水準が上がっているわけではないのです。無論、介護に携る人々の社会的保障や社会的地位も未だに確立されていません。
フィットネス業界でも、企業の利潤優先が先行し、優秀なインストラクターやパーソナルトレーナーが育っていないのが現状です。
その中でも一際関心するのは、都内大手『T』社のように外部(フリー)のインストラクターやパーソナルトレーナーを多く採用し育てているのは例外で、自社のアルバイトスタッフや社員がのインストラクターやパーソナルトレーナーとして接客しているのが現状です。
これは何をいわんとしているかともうせば、外からの風を入れないことで、コンプライアンスも含めた社風はよどむほか、商品のコスト削減により、商品品質の低下を知らず知らずにうちに招き、顧客の信用を失うばかりか、企業経営としても見直してもどうにもならない悪循環企業となるのです。
すべてが悪いというのではなく、典型的な『アメリカ型場当たり経営』・『はったり経営』といってもよいでしょう。
単価の安さを求める顧客は「渡り鳥」という位置づけならば、人間は、最終的に経済的なことを考慮しつつ、ステータスの高い買い物をするようになります。
インストラクターやパーソナルトレーナーのレベルとは、フィットネスクラブに通う顧客が判断するのであって、自社の役員や社員が判断すべきものではないのです。
『世界のトヨタ』の創業者の言葉に、
「わたしは、日本一の会社をつくることが目標ではなく、日本一の社長を産むことが私の仕事です。」
の言葉が感慨深く残っています。
特にパーソナルトレーナーは、有名になると『アスレチックトレーナー』や『スポーツトレーナー』として有名スポーツ選手のサポートをすることが多くなります。
『アスレチックトレーナー』や『スポーツトレーナー』の多くは、元来、本人もスポーツ選手としての経験があったり、医学的・運動学的実績が長年ある人が多いのです。
江戸の末期、明治新政府で活躍した英雄達のように、純粋にこの日本の将来を考える国民が現れてほしいものです。『大道豪胆』私たち国民、一人ひとりの小さな清らかな結晶が集まってこの国を作りたいのです。
平成20年5月 霊峰木曾御嶽山總幣社 御嶽山本宮 御嶽大社開闢祭主兼宮司 九拜
杓底一残水
汲流千億人(杓底の一残水 流れを汲む千億の人)
曹洞宗大本山、永平寺を訪れた方なら誰しも記憶にあると思います。
『龍門』とよばれる永平寺の入口にある大きな門に、記された一節です。
先月中旬、全国でははじめて、東京都町田市のスーパーマーケットで買い物のビニール袋の無償配布を廃止し、お客に『エコバック』持参を呼びかけたことがわだいとなりました。
私たち人間は、文明の利器を利便性や合理性の大儀名文を正義として今日に至って生活しておりますが、それゆえに自然破壊を加速させてしまい、『大量消費をすることへの美徳』を認知させてしまいました。
過去に京都議定書では、『地球温暖化防止に向けた各国の協定』なるものが締結されたようですが、先進諸国ではいまひとつの結果と成果であるます。
国内に眼を向けてみると、年金保険料や道路特定財源が公務員によって私利私欲の一念で湯水のように使われているようで、連日報道等で話題になっております。
しかし、そうした中で、コンビニエンスストアーなどで廃棄処分されていたお弁当などの商品が家畜用の飼料に生まれ変わる企業努力も行われているようです。
我が国は、食料自給率39%(学者の中には30パーセントに満たないと提言する方もおります。)としたときに、他国からの輸入に依存してばかりでは、近い将来に食料危機が迫り来ることは対岸の火事ではありません。
日本は限られた資源の国家なのです。
とても厄介である『エチゼンクラゲ』や珊瑚礁を荒らす『オニヒトデ』が農業用肥料として再加工されているようでもあります。
高齢者社会に突入した我が国を経済的にも活性化させるとするならば、農耕民族として第一次基幹産業である農業や漁業の就労にほかなりなせん。
こうしたことから、地方自治体の再建整備団体の抑止につながり、国内食料自給率の低下も防ぐことが出来るのではないでしょうか。
ただ、団塊の世代の消費を望む政策や市場に流れを任せることよりも、次世代に確実に継承できうる国家となり、市場でなくてはなりません。
合理性・利便性とは、無理・無駄・無謀を増長させるものではないでしょうか。
非合理性や非利便性とはむしろ、限りなく人間ではなく『人様』として、自然や他人様に接することが出来るのではないでしょうか。
わたくしたち人間と同様に水や食べ物にも『御命』が宿っております。
また、わたくしたち人間は植物や動物を食物にするために殺生をして命を明日に繋げています。
だからこそ、植物や動物から戴いた御命を大切にする意味でも無駄なくすることが肝要なのです。
「杓底の一残水 流れを汲む千億の人」
もし、わたくしがこの手杓のなかにあるずべての水を飲み干してしまったのならば、わたくしは心が満足し、咽の渇きを潤し体を癒すことができる。
しかし、大自然の恵みに感謝して、杓に入った水の半分をもとの流れに返したならば、この川の下流に生活を営んで住んでいる多くの人々の餓えや渇きから救えるのではなかろうか。
こうした些細な『気配り』・『目配り』・『心配り』が大自然と共存する大切なことではないでしょうか。
平成20年4月 霊峰木曾御嶽山總幣社 御嶽山本宮 御嶽大社開闢祭主兼宮司 九拜
宮司より
ご挨拶![]()
御氏子・御崇敬・御講社・特信篤い皆様方に於かれましては、幾久しく御健勝の事と存じ謹んで御慶び申し上げます。
伏して惟みますと、初代開闢宮司御照大権現からの氏子・篤信の皆様と身共の知人・友人を始め、各方面の方々の強い要望から、北海道御嶽山本宮神社の三代宮司に就任、 さらに平成16年8月に御嶽大社と改めて祭主兼大宮司に就任し本格的な始動となりました。
今般、当大社のホームページが一新致しまして、その広報活動の基軸となり得る内容と規模になりました。また、国内外、遠近問わずリアルタイムに当大社の情報を発信し続けたいと存じます。
我が国は、高度経済成長よりバブル経済の崩壊後も目に見える物質の世界も精神面も共に急激な変化を迎えております。決して神憑り的な行為や言動でない、「大自然と共存共栄し、神との対話」を大切にする時期のように感じてなりません。
急速な情報文化が発達する傍らで、近年西欧では、「スローフード」に関連する動きが強くなってきているのも事実です。東洋文化の「禅」や日本の伝統文化である「神道・神社」はまさにスローフードの源流であり、奥義なのであります。自然や地球と人間の関係をより共存共栄しようとする世界博覧会「愛地球博」が一昨年、愛知県で開催されたことも記憶に新しいところです。
〜心の鎮守の森・開かれた神苑〜として決意も新たに、身共としても大神様の大神慮に違わぬよう御神徳をこの場から発信し、一人でも多くの方々に大神様の大神威をお受けになられますよう祈念致します。
当大社に於いては新鎮座地の選定・取得、御本殿や拝殿などの諸社殿の新規普請の平成大勧進という大事業があり、また、国の内外極めて厳しい今日、大神様に一意専心熱祷し、当大社御崇敬篤い皆様の御多幸は申すまでもなく、国の隆昌、世界太平を祈念して参りたいと存じます故、末永い御協力とご理解をお願い申し上げます。
皇御国の正道を踏み外さず過つことなきよう大神様のお導きを賜り、御崇敬篤い皆様に益々の御繁栄あらん事を願い、御挨拶と致します。
平成19年4月 霊峰木曾御嶽山總幣社 御嶽山本宮 御嶽大社開闢祭主兼宮司 九拜