御嶽大社WEBサイト>(期間限定)熊手
 [このページのコンテンツ]
 熊手の画像及び価格  熊手の由来である「酉の市」の解説

■熊手の画像及び価格

ご案内・法定表記
熊手1

【熊-01】
開運吉祥熊手
 サイズ 90cm×63cm
\20,000
熊手1拡大
熊手2

【熊-02】
開運招福熊手
 サイズ 75cm×28cm
\7,500
熊手2拡大
熊手3

【熊-03】
商売繁昌熊手
 サイズ 58cm×37cm
\7,500
熊手3拡大
熊手4

【熊-04】
笑門招福熊手
 サイズ 34cm×14cm
\5,000
熊手4拡大
※恵比寿様・大黒様が「ちりめん」です
熊手5

【熊-05】
家内安全熊手
 サイズ 42cm×17cm
\2,000
熊手5拡大
熊手6

【熊-06】
開運熊手
 サイズ 48cm×13cm
\1,000
熊手6拡大
※10,000円以上の熊手には、もれなく
金御幣御守(サイズ:串丈20cm×厚0.6cm)を授与致します。
ご案内・法定表記


■酉の市・熊手の解説

(参考資料)


▲浅草・鷲神社、平成20年11月5日一の酉


▲新宿・花園神社、平成20年11月5日一の酉

【酉の市】

酉の市(とりのいち)は、例年11月の酉の日に行われる、各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼。
古くは酉の祭(とりのまち)と呼ばれ、大酉祭、お酉様とも呼ばれる。酉の市で縁起物を買う風習は、関東地方特有の年中行事。

[鷲神社付近の地図] [台東区の航空写真]
鷲神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久・開運・商売繁盛の神として信仰される。
関東では、鷲宮神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町)が鷲神社の本社とされ、鷲宮神社の祭神は、天穂日命・武夷鳥命・大己貴命。倭武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この神社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。
関西では大鳥大社(大阪府堺市西区)が本社とされる。

現在の鷲神社の御神門は、神仏分離令以前の名残をのこして、鳥居よりも門は国際通りといわれる大きな幹線に面して建てられ、「鷲神社」の門表札は元神社本庁統理・徳川宗敬卿染筆による。
この「本酉」「新酉」の他、千住の勝専寺(赤門寺。浄土宗)が「中酉」と呼ばれ、それぞれ盛大な酉の市が開かれ、勝専寺の鷲大明神は、鷲の背に乗った釈迦仏の姿をしており、3代将軍・徳川家光からの下賜とされる。現在、勝専寺では酉の市は行われない。

現在では、花園神社(東京都新宿区)、鷲神社(東京都大田区)、大鳥神社・市守神社(東京都八王子市)、大鷲神社(神奈川県横浜市南区)、鴻神社(埼玉県鴻巣市)、寂光院(群馬県桐生市)など、関東地方各地の社寺で大鳥神社を勧請し、酉の市が現在も行われている。
なお、関東地方以外では、素盞男神社(愛知県名古屋市中村区)と稲園山長福寺(七寺)(名古屋市大須)で酉の市が行われる。

【由来】

酉の市の由来は、神道と仏教の双方から、それぞれ異なる解説がある。

神道では、大酉祭の日に立った市を酉の市の起源とする。
大鳥神社(鷲神社)の祭神である倭武尊(やまとたけるのみこと)が、東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行った。これにちなみ、倭武尊(やまとたけるのみこと)が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)に大酉祭が行われる。
また、浅草・鷲神社の社伝では、倭武尊(やまとたけるのみこと)が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり、その際に社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い熊手を縁起物とするとしている。

仏教(浅草酉の寺・長国寺)では、鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源とする。
文永2年(1265年)11月の酉の日、日蓮宗祖・日蓮上人が上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折、国家平穏を祈ったところ、金星が明るく輝きだし、鷲妙見大菩薩が現れ出たことにちなみ浅草の長国寺では、創建以来11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われた。その後1771年(明和8年)長国寺に鷲妙見大菩薩が勧請され、11月の酉の日に開帳されるようになった。

江戸時代には、武蔵国南足立郡花又村(現・東京都足立区花畑町)にある大鷲神社(鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が江戸酉の市の起源。現在の大鷲神社の祭神は倭武尊(やまとたけるのみこと)で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝した。江戸時代には、大鷲神社の本尊(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされ、大鷲神社の酉の市は、15世紀初めの応永年間に始まり、参詣人は、鶏を献納して開運を祈り、祭が終了した後、浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った記述がある。
江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲在山長国寺(じゅざいさん・ちょうこくじ、法華宗本門流)境内の鷲大明神社(東京都台東区千束)で行われた酉の市。「本酉」「大酉」と呼ばれた花又の酉の市に対して「新酉」と呼ばれた。当時浅草の鷲大明神は妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)とも呼ばれて、鷲に乗った妙見菩薩の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。鷲大明神社は「鷲宮(わしのみや)」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には神仏分離令により、長国寺と鷲神社と分けられた。現在の鷲神社の祭神は、天日鷲命と日本武尊。

実際は、花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が江戸酉の市の発端とされる。
鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み、社家は鶏卵も食べないと記述がある。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放った。このように鶏を神と祀った社は、綾瀬川に面しているため水運による人、物の集合に好適で、そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も多くなったが、社前で辻賭博が盛大に開催され、安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微する。
かわって、酉の市の盛況ぶりは浅草長国寺に安置された鷲ノ巣の妙見菩薩へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るのである。 また浅草鷲大明神の東隣に新吉原(現在の吉原大門)に遊郭をはじめとした現在の歓楽街が位置していたことも浅草の酉の市が有名となり盛況を誇る大きな要因であった。時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり、今では関東の多くの神社・仏閣で開催されるようになった。 このように酉の市とは、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い、招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのである。

【熊手守りと縁起熊手】

「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する神社・仏閣からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与され、福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれている。
酉の市の縁起物は、江戸時代より熊手の他に「頭の芋(とうのいも)」(唐の芋)や粟でつくった「黄金餅(こがねもち)」があった。頭の芋は頭(かしら)になって出世する、芋は子芋を数多く付ける事から子宝に恵まれるとされ、黄金餅は金持ちになれるといわれた。しかし幕末頃から売られるようになった「切り山椒」が黄金餅に変わって市の縁起物となり現在にいたっている。本格的な寒さを迎えるこの時期、これを食べれば風邪を引かないといわれる。

縁起物の代表である熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められている。
熊手は熊手商と買った(勝った)、まけた(負けた)と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。
(商品額をまけさせて、その差し引いた分を店側に「ご祝儀」として渡すことを「粋な買い方」とする人もおり、手締めはこの「ご祝儀」を店側が受け取った場合に行われる場合が多い。つまり、この方法でいくと結局は定額を支払っているわけだが、ご祝儀については明確に決まっているわけではなく、差し引き分以上の場合もあれば、小銭程度であったりと買い手側の意思に大きく依存されているようである。
熊手は年々大きくしてゆくものとされ、大小様々なものが売られている。
熊手の爪の向きや縁起物の飾りの付け方で関東流と関西風が判別でき、笊や蓑を用いたものも現在はある。酉の市に縁起熊手を求める以外に、選挙の票集めの縁起を担いで縁起熊手を求める候補者も増えている。

【三の酉】

「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。
これは、12日おきに巡ってくる。11月のひと月は30日なので、日の巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年がある。
初酉を「一の酉」、次を「二の酉」、3番目を「三の酉」と言う。
「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説があり、その年の11月から歳末にかけて、社会一般で火事に気をつけることがよく言われる。
余談だがその年には熊手商の多くは縁起熊手に「火の用心」のシールを貼って売り出す。


2007年(平成19年)の酉の市は、11月11日(日)一の酉、11月23日(金)二の酉(勤労感謝の日)、の2回。
2008年(平成20年)の酉の市は、11月5日(水)一の酉、11月17日(月)二の酉、11月29日(土)三の酉、の3回。今年はやけに乾燥しますね。


Copyright(C) 御嶽大社(2003.09) All Rights Reserved.

※参考資料:『古事記』『日本書紀』および『大鳥神社縁起(由緒)』『江戸歳時記録』
上記文献などを参照し、大鳥神社神主や民俗学者などからの取材により執筆しました。当『御嶽大社WEBサイト』は、2007年4月にリニューアルオープンしましたが、2003年9月に神社を立ち上げ、2004年1月より旧WEBサイトで「酉の市」記事を掲載し、宇賀福屋などにも情報提供を行っておりました。