御嶽大社WEBサイト占術>風水>奇門遁甲の解説
 [このページのコンテンツ]
 解説  用語解説  盤作盤  活用方法  特別な吉凶日の意味   ※月別早見はこちら

風水奇門遁甲...風水は都市計画、奇門遁甲は戦術。


風水奇門遁甲の解説

風水の達人として歴史に名を残した実在の人物といえば、
周建国の軍師である太公望、漢の張良、蜀の諸葛孔明(※左の画像)、
明の劉伯温が有名である。
いずれもすぐれた兵法家で多くの戦いに勝利している。
ここが風水のポイントで、良き風水の地に都を作ったり、吉方位へ向けて
軍を動かすと国が興隆するというのは木を見て森を見ず。
大事なのは兵法=戦略。
人望のある君主がいて、
優れた作戦を立てる軍師が君主に作戦を上申し、
統率力ある将軍が勇敢な兵士を率いて戦い勝利する。
平和な社会にあっては、会社経営に置き換えると兵法は経営戦略になる。
風水は会社環境に、奇門遁甲は営業活動の一つとして活用。
相手を知ることも大切であるから、人相や雰囲気を見て性格を判断
することも必要。

個人だったら兵法の要素とは日ごろの考え方や行動のあり方。
家庭内がゴタゴタしているのを放っておいて、西に黄色い物を置いたって大金が入ってくることはない。自分の悪しき考え方や行動を棚上げにして安易に風水や奇門遁甲に頼ることは、本来の風水の定義に反する。
自分のやっていることは正しいことか、社会のために役立っているかを考えてからの風水の実践や活用がより効率よく効果的に活きてくるのである。
地球環境の悪化や経済・社会の混乱・低迷は風水の間違った活用方法にほかならない。
これらのことを心の片隅に置いて、我々の身近な環境を出来る範囲で良くし、自分のみならず包括的に風水を社会や国家のために用いることが風水の原点である。現代風水の考え方は「おまじない風水」から脱却して「科学的風水」に取り組むことである。土地や家屋が風水でどの程度良いのかと聞かれてもこれまでの風水では科学的に実証されない。
一方、奇門遁甲については停滞した運気を短期的に向上させるための行動術。やみくもに動くより、風水で室内のエネルギーを高め、それを体に帯びて、目的別に一定方向に進み効果を増幅させるというものです。したがって、風水を主とし、奇門遁甲を従として考えたら良い。正しいことを目指すなら結果は必ず出る。

風水とは古代中国で考えられた都市計画の手法。そのために良い土地を探すのが風水師の役割だった。
風水の歴史の中で晋の時代に実在した風水師・郭璞(かくはく)(276〜324年)が書いたとされる(郭璞に仮託されたとの説もある)風水の原典「葬経」には、
「気は風に乗じて散じ、水に区切られればすなわち止まる。古人はこれを集めて散ぜじめず。これを行いて止めるあり。ゆえにこれを風水という」という有名な言葉を残している。
これが風水を表す歴史上、最初の言葉。
またこれとは別に「得水蔵風」と言う言葉があり、これは、風水の意味を「水を得、風を防ぐ」ことであるという意味。すなわち風水とは良い気が集まる場所を探す術であり、古代の中国人は経験上、北の山を背にして、山裾が両側に囲むように伸び、南側に広い平地があるような場所を吉地と考えた。風が吹いても山に囲まれているので、発生した気は飛ばされない。そして南側に平地を取り巻くように川が流れていると、気はそこで止まるというわけである。

わが国に風水が入ってきたのは奈良時代、平城京の造営にも風水が使われた。はっきりとした風水都市は西暦794年に桓武天皇によって開かれた京都の平安京。
平安京は市内北部に約100mの船岡山を基点にして南に位置する甘南備山へ向けて一線を引き、南に位置する大文字山と北に位置する嵐山の一峰を結んだ十字線に平安宮の中心となる大極殿を建てた。(※大極殿は大内裏の中心となる建物)
ここが龍穴といわれ、大極殿から大きな道路が真っ直ぐ南へ伸びている。これが朱雀大路で、碁盤の目のように整然と縦横に道路で区画された平安京だが、その南の端にあったのが、東寺(真言宗本山 教王護国寺)と西寺(現存していない)という大寺院。この二つで都の出口を霊的に守護させた。また、都から鬼門(東北)の方位にある比叡山には延暦寺(天台宗本山)を建立し、鬼門除けとした。
後の応仁の乱で大内裏は焼失したため、当地に再建されることなく、現在の御所の位置へ規模を縮小して移転。龍穴があったとされる場所は現在の丸太町交差点に記念碑として表示され、その当時をうかがい知ることができる。


奇門遁甲の用語解説

【鬼門思想】
中国古代の書「山海経」に東北の方位には鬼が出ると記されていた。匈奴などの騎馬民族が東北からしばしば侵略したこともあって東北の方位が恐れられた。
わが国においては家相で東北を表鬼門、西南を裏鬼門とし、水周りのもの特にトイレを置くことを忌み嫌った。
これは東北が艮(ごん)で五行では土を表し、西南は坤(こん)で同じく土を表す。水があることは土剋水となり良くないものであるという考えにもとづくもの。

【龍・穴・砂・水】
風水とは本来、地形を見ていく手法。山や川、土地の起伏などで大地の気の流れを読み取っていく。
特に『龍』・『穴』・『砂』・『水』という四つの要素が重要視。
『龍』:龍とは龍脈のことをさす。龍脈とは大地を流れるエネルギーのこと。
 高い山ができたことは大地の造山運動が活発であったということ。
 その山を基点として、蛇行しながら山が一定方向へと連なっていく。次第に低くなっていき平野部へと終着。
 これがあたかも龍の背がうねうねとしているように見えることから龍脈という。
『穴』:穴(けつ)とは龍穴(りゅうけつ)のこと。
 大地から気が出ている場所。パワースポットと重なることが多い。
 山が囲んだような良き風水の地に見つかるが、その多くは昔から神社や仏閣などが建っていることが多い。
『砂』:砂(さ)とは山が両腕で囲んだように見える両腕の部分です。
 これで、台風などで風が吹きすさぶことから守ります。向かって右側の砂を青龍といい、左側を白虎といいます。
 地図上で探しますと、都市が砂によって取り囲んでいるようなところが見られる。
『水』:水は川を意味する。
 川が山に囲まれた平野部を帯のように取巻いて流れるのを吉、逆は凶です。
 川の流れは直線よりも曲がると吉ともいいます。もちろん川は淀みがなくきれいであることが大切。
 川が無い土地は繁栄しないのはいうまでもない。龍が水を飲む場所として必要不可欠だという考えもある。

奇門遁甲というのは、中国古代から伝わる兵法の一種であって、一説によると伝説上の帝王である黄帝が夢に見たものを書き留めたもので、方位による兵法術。
それを元に、周建国の功労者である大公望が殷を滅ぼした戦に用い、さらに漢建国の軍師である張良は謎の老人(仙人)黄石公から大公兵法として伝えられ、劉邦を助け天下を統一。さらに三国時代には蜀の劉備に仕えた諸葛孔明が奇門遁甲を大成し、戦に使って百戦百勝であった。
現在、奇門遁甲の書として発行されているのは諸葛武候(孔明)著というものが多いのですが、実際に本人が書いたものかどうかは疑問が残るところ。明の建国に功労があった軍師・劉泊温は諸葛孔明の再来とも言われ、軍略、天文地理の術に優れ、奇門遁甲の達人であったと伝えられる。
現在わが国においてネットや様々な書籍になっている「風水奇門遁甲」というのは、戦後台湾から伝えたものが主流であり、御嶽大社の「風水奇門遁甲法」はその流れとは異なる。


奇門遁甲の盤作盤

盤作盤の方法について簡単に解説。

1、まず地盤というものを最初に作ります。その年の九星を中宮に入れる。
※十二支方位は子(北)、丑寅(東北)、卯(東)、辰巳(東南)、午(南)、未申(西南)、酉(西)、戌亥(西北)とし、それぞれ中心点から45度の角度で区分。

2、次に天盤を作り加える。
天盤には年の十二支に位置する九星を中宮に入れる。

3、六十四卦に変換
次に天盤と地盤を組み合わせて六十四卦に変換。
1・水、2・地、3・雷、4・風、5・無、6・天、7・沢、8・山、9・火とする。
六十四卦は易経を参照。

4、最後に八門を加える。八門局数表に基づき、乾宮に景門を入れた後、時計回りに死門、驚門、開門、生門、傷門、杜門と順に入れる。


奇門遁甲の活用法

奇門遁甲は元来、兵を移動する際に方位と適当な時間を事前に割り出し、勢いをつけて敵に向かって攻め込むものと考えられている。
それを現代では、移動という手段や営業や引越しなどに応用しているもの。
この活用方法については秘伝書を見ると幅広く、
・試験に合格する。
・治病効果を高める。
・借金取りから逃れる。
・出会い運や結婚運を高める。
・逆に悪縁を切る。子縁を呼び込む。
などなど色々とある。
「活用法はこのほか色々とあるが、悪用されてもいけないので口伝にせず。」と古来から一部の特権階級のみにしか使用を許されていません。

奇門遁甲の天地盤は格局や八門と共に大きな要素を占めています。
天地盤は十干の組み合わせでその効果の作用が変わってきます。甲(尊)と三奇、六儀との兼ね合いを表にしました。
※庚は剣(武器)の象意が強く凶の要素が強いので注意してください。
※十干の組み合わせの中でも甲尊、三奇、六儀、陽と陰で象意は変化してきます。

【尊・三奇・六儀】

【十干】

【九遁】

【八門】

※なお本団体は、徳風会という名称の団体とは一切無関係でございます。 Copyright(C) 御嶽大社(2003.09) All Rights Reserved.