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「霊峰木曾御嶽山総幣社 御嶽山本宮 御嶽大社」は、古儀宮中神道・伯家神道・土御門神道・修験神道・道教などの日本古来の風土や伝統を復興し、単立にて祭祀を行っている。霊峰木曾御嶽山と伊勢皇大神宮を本宗と仰ぎ、天神地祇を奉齋している。
当大社初代開闢宮司は、千数百年以上続く神職の家系であったことから、各地の県(あがた)・郷(さと)神社の宮司を奉職。
祖先より代々奉斎(いつきまつり)してきた伊勢内宮・外宮の御神璽を北海道の西部で御鎮斎(おまつり)になったのが創祀であります。
前の第二次大戦の敗戦による社会不安の人々を救済せんと発願し、先祖よりの秘伝である伯家神道(はっけしんとう)・土御門神道(つちみかどしんとう=陰陽道(おんみょうどう))と更なる修行の地として霊験あらたか且つ、厳しい修行で有名な木曽御嶽山(現在の長野県木曽福島・三岳村・王滝村・現本教部は奈良県大渕)にて、木曽御嶽教第九代管長・渡邊照吉(わたなべてるきち)台下(たいか)に師事、修行奉仕致し、御神分霊璽(みたまわけ)を頂戴。
この御嶽大御神(おんたけおおみかみ)・天照皇大神・豊受皇大神を奉斎(おまつり)。
また、衆生救済の初心貫徹の意味で、成田山不動明王の御分霊を当時の成田山新勝寺貫首猊下御開眼の御分霊(みたまわけ)を勧請(かんじょう)し、もって御嶽教美國教会(おんたけきょうびくにきょうかい)と改称し、教師の育成・信徒の教化・伝導・神徳報恩・霊占神託に尽くし、昭和40年遷化(せんげ)。
二代宮司は、初代開闢宮司の実娘で、元来病弱な事もあり教会組織の拡大をせず、平素の祭祀の継承・神徳奉仕のみに終始し昭和六十一年遷化。
平成に時代は移り、父方母方共に神道界の中枢に位置する祖先をもつ現大宮司が幼いながらも、曹洞宗・臨済宗・黄檗宗および真言宗・天台宗・七面法華などの諸山を歴訪し、数多の伝法を習得。
篤信・特定の氏子には霊占神託・神霊祈祷・祖霊祈祷を奉職していたが、現大宮司が古儀成年式(こぎせいねんしき)を終えて直後、三世宮司に就任し祭祀を復活すると同時に北海道御嶽山本宮神社と定めた。
平成16年9月、政界・財界など各方面の要望強く御嶽大社として再出発し、祭主(まつりのつかさ)兼大宮司に就任。
家伝の伯家神道の継承、初代開闢宮司の遺志と本来の神道を復興すべく、現在に至る。
天神地祇を崇め、祭祀を重んずるわが民族の伝統は、高天原に事始まり、国史を貫いて不易である。
夙に大宝の令、延喜の式に皇朝の風儀は明らかであるが、明治の制もまた神道を国家の宗祀と定めて、大道はいよいよ恢弘された。
しかるに、昭和二十年、未曾有の変革に遭ひ、その対応を相議り、ここに御嶽大社の前進北海道御嶽神社関係者の総意によって、北海道御嶽神社が設立され、霊峰木曾御嶽山及び伊勢両神宮を本宗と仰ぎ、道統の護持に努めることとなった。
爾来、御嶽大社は、宗教団体として、社規を中心に運営されてきたが、今日まで重要な懸案とされてきたのは、精神的統合の紐帯として、基本的規範を確立整備することであった。
よって、ここにその大綱を成文化して本憲章を制定し、以て天神地祇の祭祀伯家神道及び神社神道ならびに修験神道・土御門神道を継承するに遺憾なきを期するものである。